以前だと、家にいると食料庫やら引き出しやらを覗いて、なにか食べるものはあるのか。。。
と、探りを入れていた。
最近は、全くというほどその気がない。
食べるものに関心がなくなったのだ。
あの食に対する執着は何だったのか?
いつも何かしら食べている。
気がつけば食べ物を探している。
見つけた食べ物は完食する。
肥満にまっしぐらだった。
わざわざ食物を探しに行く。
なければ、コンビニに調達にまで行く。
そこまでしてまで、食べたいのだった。
なんでだろう?
今となっては不思議だ。
と、いうか、自分が熱中することがなかった。
その当時は。
そして、自分自身に自信がなかった。
どうでもいいと。
自分なんて、どうなってもいいんだ。
欲の湧くままに流されていけばいいんだ。
そんな感じ。
体重が増えたって、どうでもいい。
痩せることなんて出来るはずない。
そう思っていた。
痩せるとは、どういうことなのか知らなかった。
そして、体重管理には終りがあると思っていた。
いまは、標準体重になったが、日々体重は測っている。
今日の朝の体重は把握しておいて、一日を過ごしている。
朝測った体重から、一日の食事をどうしようかを考えるようになった。
いまは自分の体型に自身がある。
ここに至るまで、色々と工夫した。
きっかけは食べられない身体になったときのこと。
体重が減ったのだ。
当然といえば当然だが、それを腑に落としていなかったのだ。
いままでは、「体重が減ればいい。体型なんてどうでもいいから、重さの数値が減ればいい。」くらいに思っていた。
結果として、自分はスリムな身体を手に入れた。
そう、食事の量を考えるようになってからだ。
食べてもいい、適量なら。
なので、自分は毎日のようにスイーツを食べている。
大好きだから。
それでも標準体重を維持している。
食べる量を考えているからだ。
ここまでくるには、めんどくさいことが一つあった。
「あった」のだ。
今ではこれが自然にできるので、過去形の「あった」と記述している。
身体が知ってしまったから、わざわざこのめんどくさいことをすることはなくなった。
覚えてしまえば、ずっと続けることは出来る。
時折復習はすることあるけど、それは「めんどくさい」とは思っていない。
必要だからやるのだ。
いつまでもひきしまった、かっこいい、を手にしていたいから。
ほんの簡単なこと。
「食べない」
も、選択の内。
あとは、いかに食べることを調整していくか。
肥満の場合は、こっちだろう。
食べすぎているからこそ、肥満なのだ。
食べすぎていることをまずは知る。
そう。
身を持って知ること。
それに尽きる。
まずは、自分自身が肥満であること。
知っているか?
だな。
応援ヨロシクです。
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